遊具哲学について うほ速

基本的に宇宙やばい。

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遊具哲学について

1 :考える名無しさん:2012/09/04(火) 15:08:09.97 0
遊具といっても様々だが赤ちゃんは3,4歳児が遊ぶ積み木に対照した大人の道具と考えていい

2 :考える名無しさん:2012/09/04(火) 15:11:39.75 0
例えば人は結婚するが母親はセックスで子どもを産み育てる

それは人間にとって喜びと悲しみを産むものだ

それは遊具によるものだと思う

遊具とは赤ちゃんのことである

3 :考える名無しさん:2012/09/04(火) 15:15:50.40 0
では遊具となってる赤ちゃんの立場はどうなるのか
別に大人の方は悪心をもってあそんでるわけではない
されど赤ちゃんは自立というものをうばわれている
それは自然権になぞらえられる
ほんらい赤ちゃんはうまれたときから自由であるべきだ
もしかしたら動物にさらわれそだてられるかもしれない
あかちゃんにはそのけんりがある
仮に人間の文明が高尚とはいえ人をどうにかするのは
差別といえる 人間は生まれた時から自由である

4 :考える名無しさん:2012/09/04(火) 15:18:18.89 0
要するに心配の及ぶ淵はない

人は神聖にして最高の生き物となろう

自由であればまた奇跡を産む可能性もある

人間はそうやって生きていくべきなのだ

生きていくべきでないものを生かせるのは間違いで

それは諸行の苦悩をうむ

なぜなら神のえらんだ人間ではないからだ

それは神がえらぶから

5 :考える名無しさん:2012/09/04(火) 15:20:21.38 0
人はなにかしらの奇跡がある

それは神の意志といっていい

奇跡は手にさわれるものといえる

それは自由自在であるとおもえる

人がぱんをたべたければ空からぱんをたべ

あるいはひとをたべたければそらからひとをくらう

それこそにんげんらしいいきかたといえる

6 :考える名無しさん:2012/09/04(火) 16:40:59.87 0
人は最初からあやまりをふんだ

人の誤りとは文明に手を出したことである
あるいは哲学そのものに触れたとこへの贖罪である
哲学することは悪
悩むとは神を冒涜する罪

ゆえにひとはいちどほろぼされるべきである
ただしけんりはある いちどあかちゃんをうみおとすことができる
それいがいはみなきえてもらう

ではいまのせかいはなんだろうか
きえたいといいつつもきえない
それは形而上ではありえないことである
ふつごうのれんぞく
いうなれば小説のせかいであり「人生」といえるだろう
さらにいえば蛇行である
ここがぐどんがセンスがあるかは別である
いずれにせよぐどんといえる
されどそれもまたセンスかといえば

残念ながらそれこそせんすがない
無意味反復に通ずるものだ
結局その人生の無意味さによる余韻とは別に人間と人生の存在は否定されるものである
即座に滅亡を推し進めるべきである
では、人は最初から余韻を追い求めるためにうまれてきたのか
残念ながら余韻は偽である 即座に人類はほろぼされるべきだ ただし神がそれを選ぶかぎりは 
されど神にも誤りがある この余韻ばかりは決して認めてはならない
新たな哲学が必要である 新たな開発的で受動的な哲学である それは生まれ持って得た天性でなくてはならない
されどそのような人間は未だに生まれてきてはいない その人間が生まれた時こそ人類が救済されるとき
人は彼の救いを歓迎するだろう いわずとて救われようが これで人類史が終わる
新たな神話が完成する そして彼は息絶えかの魂は永遠にもってうけつがれるだろう


ソース:http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1346738889
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